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質量分析ってなに? その4

前回、電子線を使ったイオン化法(電子イオン化、EI)で得られたエチルアルコールのマススペクトルを示し、分子から電子が一つ脱離したm/z 46イオンが検出されており、エチルアルコールの構成元素が全て天然存在比最大の同位体で構成されている分子の整数質量と一致していると言う解説をしました。

 

分子から電子が一つ脱離して生成した正イオンの事を、分子イオンと呼びます。EIのマススペクトルで分子イオンが検出されていれば、元の分子の質量を推測する事が出来ます。しかし、このマススペクトルでは、分子イオンの他に、m/z 45イオンやm/z 31イオンが高強度で検出されています。これらの分子イオンより小さなm/zのイオンはフラグメントイオンと言い、イオン化の際に分子中の結合が開裂して生成します。これら2つのフラグメントイオンは、赤と青の線で囲った部分のイオンであると推測されます。分子イオンとフラグメントイオンのm/z差は、その分子の部分構造に由来するため、分子イオンとフラグメントイオンが両方適度に検出されていると、分子の質量と部分構造の情報を両方得る事が出来ます。また、過去数十年に渡って蓄積された既知化合物の100万を超えるEIマススペクトルがライブラリーデータベースに登録されており、EIで得られたマススペクトルをそのデータベースで検索する事により、同定作業の一助になります。

 

 ここでEIマススペクトルでは、分子同定の観点から、分子イオンが検出されているか否かと言う事が、非常に重要になります。エチルアルコールの例では、分子イオンとフラグメントイオンが両方検出されていますが、分子イオン強度は比較的低いです。また、分子イオンが全く検出されず、フラグメントイオンのみが検出される化合物は少なくありません。質量分析計内でイオンが開裂することを、フラグメンテーションと言います。

 質量分析の事をよく知らない方の中には、“データベース検索(ライブラリーサーチ)をすれば分子同定が可能”などと言う方が結構いますが、実際にはそんなに甘いものではありません。具体的な例を図1に示します。

図1 EIマススペクトルのライブラリーサーチの例

 上段が測定データ、試料は農薬の一種(テルブカルブ、MBPMC)、中段はライブラリーサーチでヒット率1位の結果(ジブチルヒドロキシトルエン、BHT)、下段はデータベースに登録されているMBPMCのスペクトルです。データベースに登録されているBHTとMBPMCのマススペクトルは、ほぼ同一と言って良い程よく似ています。そのため、検索結果の1位にBHTが入ってしまいました。これは、MBPMCのマススペクトルにおいて、分子イオンが観測されていない事が最大の原因です。このようなケースでは、ライブラリーサーチを行っても、化合物を同定する事は不可能です。これと同様なケースは、決して少なくありません。

 

 前置きが長くなりましたが、今日の本題はここからです。上のような問題がある時に有効な方法の一つが、イオン化法を変更する事です。つまり、フラグメンテーションを起こし難いイオン化法を用いる事で、分子の質量情報を得るという方法です。EIは気相分子に用いられるイオン化法なので、ここで紹介するイオン化法も、気相分子に対して用いるものになります。いくつかありますが、その代表例が化学イオン化(chemical ionization, CI)という方法です。

 CIのイオン源の概略を図2に示します。

図2 CIイオン源の概略図

図2は、前回解説したEIのイオン源によく似ています。違いは、イオン化室に試薬ガスが導入されている事と、図では分かりませんが、イオン化室の密閉性がEIより高い事です。試薬ガスには、イソブタンやメタン、アンモニアなどが使われます。CIで試料分子がイオン化する様子を、(1)式から(3)式に示します。

試薬ガスが充満しているイオン化室に熱電子を導入すると、先ず(1)式のように、試薬ガスがEIによってイオン化され、試薬ガスの分子イオン(R+・)が生成します。その後、試薬ガスの分子イオンとイオン化されていない中性分子との間で水素の移動が起こり、(2)式のように試薬ガスのプロトン付加分子([R+H]+)が生成し、それと試料分子との間でプロトン移動が起こり、試料のプロトン付加分子(M+H]+)が生成します。試薬ガスの導入量(圧力)に依るのですが、通常試薬ガス分子は試料分子より大過剰に存在するため、熱電子が試料分子に対して直接相互作用する事は殆どなく、(1)~(3)の式に従って試料分子はイオン化されます。このイオン化はEIに比べて非常にマイルドな条件で起こるため、フラグメントイオンが生成し難いという特徴があります。

EIとCIの比較データを図3に示します。

図3 EIマススペクトルとCIマススペクトルの比較

(a)と(b)はそれぞれエルカ酸イミド(ノミナル質量:337 Da)のEIとCIのマススペクトル、(c)と(d)はイルガフォス168(ノミナル質量:646 Da)のEIとCIのマススペクトルです。EIのマススペクトルでは、各化合物のノミナル質量に対応するイオンは検出されていません。一方CIのマススペクトルにおいては、分子にプロトンが付加したイオン(プロトン付加分子、M+H]+)が検出されています。CIでは、一般的にプロトン付加分子が生成するため、図3のCIマススペクトル(bとd)で観測されているm/z 338, 647からプロトンの質量1 Daを引いた値が、それぞれのノミナル質量と一致します。

 

質量分析は、読んで字のごとく物質の質量を分子レベルで知ることです。質量分析の歴史は100年とチョッと。有機分子が測定対象になってから、最初はEIだけでよかったイオン化法が、測定対象物質が増えるにしたがって、一つのイオン化法だけではイオン化できない物質が出てきて、様々なイオン化法が過去に開発されてきました。様々なイオン化法があるという記事は、以前のホームページから転載してあります。

 

質量分析ってなに? シリーズにおけるイオン化法の話は一旦これくらいにしておいて、次回からはイオンをm/z事に分離する、質量分析部の話を書いていきます。

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